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何を犠牲にしているのか

何かを手に入れるためには何かを捨てなければいけない。。という言葉があります。

 

例えば、手に入れるものは感染症の無い世界。捨てるものとすれば、部屋に閉じこもる(自由が無くなる)、三密を避ける(コミュニケーションがとりずらい世界)

 

リスクを取るのは、それ相応のバックが無いとやっていけません。

 

バックというか価値というか。

 

お店が潰れた人にとって、感染症対策の価値はあったのか。

救急車が新コロ対策に追われて、本当に重症な患者を搬送できない状態に価値はあったのか。

高齢者が家族と会えない価値があったのか。

スポーツが開催されない価値があったのか。

国民全員マスクして効果があったのか。

緊急事態宣言するだけの意味があったのか。

 

今現在私的にわかるのは、政策は理屈じゃないということですか。良い悪いの問題じゃない。

 

昔は裏の告発されて世の中がひっくり返るということがありましたが、現在は、科学的にわかっていても無視されるという所ですか。政治の流れですか。

 

大きな流れには勝てないので、せめて個人的には巻き込まれないように考えるだけ、という情けない状況かもしれません。

 

個人事業主としては、ただ倒れるのではなく、世の中の状況に応じて生きていくのが強い事業者だと思っています。

 

どうにもならない国なら、他の国へ移住も選択肢に入れるのも良いかもしれません。文句ばかりじゃ先へは進めません。

しかし、昔メキシコに何ヶ月かいたことがありましたが、当時の日本はなかなか良い国だと再発見できました(笑)

離れるとわかることはあります。人生、もう一回離れるのも良いかもしれません。お金を貯めよー

 

私だけかもしれませんが、個人事業主って結構情報を取ろうと思えたりします。時間もありましたし。

サラリーマンの時は、忙しさに流されて、現状維持な生活になっていたかもしれません。

 

実際いまも、感染症など色々情報は取れているので、怖いことは無いし、さー未来の対策はどうするか、と思えます。

 

国の上層部・富裕層は、やっていることに対してバックはあるので頑張れるでしょうが、国民は倒産・自殺などして、感染症で頑張ってもそれに見合うバックがある状態には思えません。

 

ま~一回目の緊急事態宣言の時より人の出は多いみたいです。

気づきのある国民から、国を代表する人間が生まれるのを待つしかないのでしょうか。あ~人任せ~

 

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